夢中になったギター


田村満銘愛用のギター夢中になったものは、その周囲の景色を引き連れて、懐かしものとなる。
しかし、その景色はその復活を絶えず願っているのかも知れない。

高校二年の夏休みに、教室に置き忘れてあるクラッシックギターを、興味本位で鳴らしたのが始まりである。その時の暑い教室と、蝉の声と、ギターの音色が合わさり、不思議な感覚がいまだに忘れられない。

三重大学ギターマンドリンクラブに入った。当然ギターの選択であった。
放課後のカルカッシギター教則本で、先輩にOKをもらいながら、一曲一曲仕上げていった。
工学部電気工学科の所属であるが、ギターマンドリン部ギター科にも所属していた。
ギターの独奏も好きであったが、やはりマンドリンとギターの奏に勝るものはなかった。
二年生でのギターパートリーダー、合宿の日々、すべてが熱かった。
過ぎ去った日々は戻らないが、過ぎ去った日々は思い出せる。クラブでの出会い、「ありがとう。」
幾度も社会人のギターマンドリンクラブやギタークラブに誘っていただいた。
しかし、ギターを再開することがなかった。まさに、「夢中になったギター」であった。

だが、再度、ギターマンドリンのステージで演奏したいと思う。
教則本を取り出しては、学生時代のように一曲一曲仕上げていくか。・・・・・と自分の思いを片付けた 。

2018年12月24日(月)

久しぶりに、三重大学ギターマンドリンクラブ定期演奏会へ出かけた。
第2ステージでは企画ステージと称して、新入生による劇をくり広げながらその劇に関係する曲を紹介し、演奏に入るのである。
今のギターマンドリンクラブは演劇の素養がいるのである。演奏者全員が各々華やかなクリスマスイブにふさわしいスタイルで着飾っていた。

第3ステージの一曲目は、マンドリンオーケストラのために新しく作曲された『シャコンヌ』であった。聴きながら、一方ではバッハのシャコンヌを思い出していた。
最後の曲『星空のコンチェルト』では、セロのパートリーダーが奏でる旋律が、セロ独特の奥深い落ち着いたトレモロで聴きごたえがあった。



残暑見舞いの返信

嬉しいEメールの便りがあった。
彼は、三重大学農学部の院を卒業されてから、現時点でも同じ会社に毎日勤め、地元のギターマンドリンアンサンブルにギターリストとコンダクターの二足の草鞋を履いて活躍をされている。
本当に敬意を表したいと思う。
会社を替わり、あれほど夢中であったギターマンドリンの合奏にも今だに復帰を果たしていない者にとっては、甚だ恥ずかしい限りである。
「今年も12月8日の第44回定演に向けて必死に練習をしております。」というコメントがあり、その練習風景が目に浮かぶ。
今までの想い出の量たるや、想像するに余りある。
・・・ジッと手を見る。いやしかし、まだ間に合う・・・と思うのである。

島田マンドリンアンサンブル



尾鷲市大曽根浦「青年の家」

2021年4月11日(日)楯ヶ崎を訪れた。帰り道、尾鷲湾に面する大曽根公園の展望台へ立ち寄った。
大曾根公園の坂道を登ると通行止めであった。
そのロープの向こう側には斜面に作られた鉄筋コンクリート造の廃屋があった。

覚えがある。
!学生時代にギターマンドリンクラブで何回か合宿に来た『青年の家』ではないか。
立入禁止の張り紙はない。
物が散乱しているが、通路の奥を眺めて行くと、学生時代の遠い記憶の中に分け入る映像のようである。
間違いない。


自宅に帰ると早速、同じ部屋で練習している当時の写真を探しだした。

一枚目はギターパートの指揮をしている私である。
二枚目はタイトル「残暑見舞いの返信」として掲載した”島田マンドリンアンサンブル”の室屋〇〇氏である。
三枚目はギターマンドリンサークル”MEETS”で活躍されている小川〇〇氏である。
両名とも今も練習を重ね卓越した腕前の持主である。

ネット上では、”『青年の家』は2002年3月末に耐震対策等の不備で閉鎖となった”ということである。
我々が練習していた壁には当時の油絵が同じ位置に展示されていた(新旧写真を比較して)。
何年前?ということには、答えないようにしよう。

誰も訪れない部屋で、私は代表して鎮魂歌を詠ってきた。
この出会ったステージがあって今がある。
この部屋が失われようと、我々の中で生き続けていく・・・と


2021年12月23日(木)

今年は妻からの誘いであった。
残念ながら知人は見かけなかった。
”早くコロナの影響がなくなりますように。”