伝統文化


明治初期 日本には貧乏人は存在するが貧困は存在しない また西洋をも上回る品性があった

西洋人自身が声を揃えて言っているので間違いはない。少なくとも、これが日本の伝統文化を意識した最初の出会いであった
社会福祉協議会にとって、人前で話をする講師は重要な業務であった。そのネタを探しているとき、新聞のコラムに以下の記載があった。

1)【明治期、日本に滞在した英国の言語学者チェンバレン『日本事物誌』の話】
「 金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。 」「 ほんものの平等精神が、社会の隅々まで浸透している。 」
2)【明治初期に来日した米国人モース『日本その日その日』の話】
 隅田川の川開き:船がすれ違う様子「ありがとう」と「ごめんなさい」→「 かくの如き優雅と温厚の教訓! 」とたたえた。 日本人は他人を自然に気遣う品性があった。
3)【明治初期、英国人ウィリアム・ディクソン、宣教師 渡辺京二『逝きし世の面影』での話】
 人力車の車夫「友人があなたに病気を治療してもらった。それでささやかなお礼をしたかった。」と言って代金も受け取らず立ち去った。→宣教師は車夫の 善徳と品性をたたえた 。

なぜ、明治初期に、日本には貧乏人は存在するが貧困は存在しななかったのか。また西洋をも上回る品性があったのか。

もう一人、日本の文化に焦点を当ててくれた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)には以下のような文章が残されている。

「神道は、西洋科学を快く受け入れるが、その一方で、西洋の宗教にとっては、どうしても突き崩せない牙城でもある。異邦人がどんなに頑張ったところで、しょせんは磁力のように不可思議で、空気のように捉えることのできない、神道という存在に舌を巻くしかないのだ。」
「古風な迷信 素朴な神話 不思議な呪術 これら地表に現れ出た果実の遥かな下で 民族の魂の命根は生々と脈打っている この国の人々の美の感覚も 芸術の才も 剛勇の炎も 忠義の赤誠も 信仰の至情も すべてはこの魂の中に祖父より伝わり 無意識の本能にまで 育まれたものなのだから」
小泉八雲が、日本の伝統文化について再考できる言葉を残してくれたのは、日本人にとって幸いであった。
以上のような外国人による日本の伝統文化の理解について、その正体を見極めることは何と魅惑的なことであろうか。

 


伝統文化の継承

【盆踊り】 踊る鎮魂歌

盆踊りは、若い男女の出会いの場であり、子供達は大人を真似る場であり、何よりも祖霊になった死者と一緒に踊る場でもある。従って、楽しいという気持ちの中にも、どこか懐かしい気持ちにもなる。子供達ははしゃぎ、大人たちは様々な思いを抱きながら踊る。

歴史上、盆踊りの意味からして、空き地で、ひとり、お囃子を自らの頭で奏でながら、死者と一緒に踊ってもおかしくはない。
しかも満ち足りた気持ちで。

何か映画の最終場面になりそうである。シナリオはこうだ。
子を亡くした夫婦がいる。
…夫がそっと家を抜け出す。妻は後をつける。夫は一人踊っている。妻は悟り、踊りに参加する。ふたりは涙ぐみながら幸せそうに時間を忘れ踊り続ける…
踊る鎮魂歌だ。
夫婦と死者、相互に鎮魂しているのだ。

小泉八雲は赴任地の島根県に入る前に、盆踊りに遭遇しその並外れた感性で、死者と一緒に踊っていると看破した。

小泉八雲の言う、あの不思議な踊り。
死者から未来を背負う子供たちまで、時を超えた永遠の中で、我々日本人は世界で唯一の踊りを楽しむことができる。
それはまさに、文化の継承ではないか。

【伝統文化を引き継ぐもの】 文化継承の伝道師

文化の継承 (源泉技術と源泉意識の継承:世代を超えて受け継がれる技術と精神性) といえば式年遷宮である。内宮、外宮の正殿をはじめとする65棟の建物が建て替えられ、奉納される714種1576点の御装束神宝が新調される。
継承されるものは1300年前そのもの(源泉技術の継承)であり、かつそれに携わる神官や職人の思い(源泉意識の継承)も同様に継承される。

本格的な少子高齢社会を迎え始めている。歴史の深さと地域性において、日本文化の種類は多岐にわたり、とても他国に比べるどころの数ではない。文化の継承もこの社会状況では、従来のやり方で継承するには無理なことと思えてならない。
そこで、小学校から高校に至る先生がその地域の伝統文化継承の任に当たるのはどうだろうか。
少子化だと言って、先生を減らさないで地域の伝統文化を学び、また廃校にしないで研鑽する場所を確保し、授業で生徒に伝授するのはどうだろうか。
伝統文化の価値が生徒に直接伝わると思う。

現在、学校では伝統文化の講師を招いて、生徒に紹介する試みも沢山ある。クラブ活動で学んでいる学校も数多くある。 NPOが伝統技術の絶える寸前で救った例もある。

先生は何も生徒の先生だけではなく、文化継承の伝道師であってもよいではないか。 社会生活の上で、個人の自由は当然守られる必要はあるが、伝統文化を学ぶ権利もあっておかしくはないと思うのであるが。

アッ!勝手なこと言って申し訳ありません。先生!オネガイ( ^ω^)シ・マ・ス

 

【日本文化のデーターベース化】come on Xday

最終手段である
少子高齢社会の日本は、急速に各地の特有な文化が 失われて永久に消えてしまう文化があまりにも多い。

そこで、来たるXdayに、日本に存在する全ての文化を出来る限り正確なデーターとして保存できないだろうか。
そうすることにより、この先、いつでも保存された日(Xday)に戻れるのである。

例えば、限界集落での祭は、祭りの「道具」「衣装」「役割」「踊り」「意味」等全てが祭りの再現に可能なデジタルデーター(文章、映像、音声など)として蓄積するのである。
今後、その集落が失われようとも、いつでもどこでもその祭りは再現できる。

NHKの日本風土記のような映像は、地域がどの様にその祭りを育て祭りに育てられたのか、その情緒は伝わるが、祭りの再現は恐らくできないだろう。過去の日本文化を懐かしむだけではXdayになり得ない。
その再現を目的とする文化のデーターベースは将来日本を救うかもしれない、と想像している。
クールジャパン以上の戦略的意味があると思うのである。価値は無限大である。いかがであろうか?内閣府どの。

それを担う重要な組織は全国に展開している市町村社会福祉協議会の職員がよい。
かれらは、ビデオと録音機を担いで、地域を駆け回り高齢者と会い、文化を再現できる様、データーベース化するだろう。 かれらの地域を愛する心は、何事にも代えがたいと思うのである。( 現在、全国の市町村社会福祉協議会は、コロナ禍による特例貸付の窓口になっており、相談者が殺到しているという。かれらは頑張っている。)
何故わかるのか。それは、かれらが私の後輩だからだ。
何!、これは福祉の仕事じゃないって。黙ってやれ。ぼーっと仕事の意味も考えないやつの仕事なら、取ってしまえ !

GAFAの一角Googleの最大の戦略が「全ての情報を社に」であれば、以上の情報(日本文化データーベース)は絶対渡せない。
…と主張する日本人もいるだろう。
いや、自ずと世界に広まるのであれば、それはそれでいいのではないか…という底抜けの善根者もいるだろう。

いずれにしても、そのデーターベースに他国が如何なる反応を示そうと、日本人は淡々と敬意を持って継承していくだけである。